2025魚沼市プレミアム
認定品
魚沼産コシヒカリ
(市井晴也(工房茶助))関東から移住した市井晴也さんのコシヒカリが、「第4回米食味コンテスト2025 in 魚沼」で最高金賞を受賞した。魚沼市の北西にある福山新田、その山間で山仕事をしながらコシヒカリを栽培している。




Special Interview
山の上の「豊かな暮らし」。
移住者が作るコシヒカリ
市井晴也さん (工房茶助)
移住して30年。最高金賞を受賞
山道をくねくね6、7km上り、峠を越えてたどり着く。福山新田はまるで桃源郷のような場所だ。市井晴也さんがこの地にIターンしたのは30年前のこと。節目となる年に、コンテストの最高位に輝いた。過去2回受賞したが、大賞は初めてだった。「特別なことをしたわけではないけれど、昨年の猛暑でもこの辺は朝晩涼しかった。地の利があったかな」。何よりうれしかったのは「誇らしい」というお客さんからの反応だったという。市井さんはずっと、お客さんに直接コメを届けている。最初は東京の友だちだけだったが、口コミで広がり、今は青森から沖縄まで。栽培してるコメはほとんど注文で終わる。当初、借りた一反半(15a)の田んぼも増え続け、3町歩(3ha)になった。
「山と田んぼの仕事をしたい」
移住のきっかけは、日本と世界の形に疑問を抱いたからだった。平成の米騒動と言われた1993年、日本はタイ米を緊急輸入した。大量に売れ残ったが、一方でタイでは米価が高騰し、貧困層はより苦しめられることとなった。マレーシアでは、先進国に求められるまま無計画に森林を伐採。日本で製品にされたものがゴミ捨て場に廃棄されたのを目の当たりにした。「経済至上主義って何だろうと。自分は基幹である一次産業を生業にして、だれかに迷惑をかけずに生きていきたいと思った」。縁がつながって魚沼市福山新田へ。平日は森林組合の仕事で山に入り、朝晩と週末は田んぼに。1995年から30年間、半農半林で暮らしてきた。
手間も時間もかかる、山間の田んぼで
はじめは、地元の人に教えてもらった。ずっと変わらず、同じことをしているという。稲が水を欲しがっている時には水をあげる。土を乾かしたいときに乾かす。ただ、峠を越えた"山間のはじっこ"にある田んぼは、手間がかかる。平場に比べて農道も畦も広く、草刈りは何倍もかかる。特にへこたれるのは、U字溝もない土側溝の泥上げだ。田んぼに十分な水を通すため800mも掃除する。「でも、林業と農業をやろうと思ってここに来たから」。自分たちで選んだ道、前だけを見ていた。
福山新田の土地と有機肥料が甘味を生む
市井さんが預かっている田んぼの中でも、特においしいコメが取れるところがある。昔、何度か川が氾濫した場所と聞いて「ミネラルが入ったからでは」と考えた市井さんは、ミネラル分の多い肥料を使うようになった。「それとは別に、必ず有機質の肥料も入れて土を作る」。続けると、3年くらいでコメの味が変わった。さらに刈り取り後には、手作り味噌の麹にするコメを取るために、1.9mmの選別機を2回かける。「結果として大きな粒が揃うので、おいしさが増しているかもしませんね」。飯好きで高校時代は1日5合は食べていたという市井さんは、試行錯誤と実感を積み重ねて、わが家のおいしさを生み出している。
農業を、この地を未来に継ぐために
福山新田には今、市井さんを含めて6人の移住者が米作りをしている。「集落の人たちが本当に良くしてくれる。それにここでの暮らしは豊か」。自然のリズムに合わせつつ自分のペースで暮らせること、食べ物がおいしいこと、自分の手ひとつで食べ物をつくり、住居まで建てたこと。東京ではお金が無いと貧しいと感じるかもしれないが、ここ来てからは、そうではないと言い切る。「それに、農業は協力者がいれば難しくない。やりがいは大きい」。市井さんは福山新田のために、そして農業のために次世代を育てたいと、移住支援の活動もしている。「これからは恩返し」。土地と人からいただいた恵みを継ぎたいと静かに話した。
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⚪︎商品名 魚沼コシヒカリ
⚪︎事業者名 工房 茶助(市井晴也・市井希)
ホームページ:www.ko-bo-chazuke.com
晴也さんがコメ作り、希さんが味噌作りのほか絵を描いたりハンドメイドをすることから「工房」の名前に。「茶助」はここで飼った1匹目の猫の名前




